ネットラジオ収録/自死について

 みなさまおはようございます!

 私は完璧なる一般人なのですが、実は、なんと大阪でネットラジオに出演させていただくことに相成りました。収録は南大阪の富田林というまちにある「初代・富田林珈琲」という店のスタジオでした。しかし、10分という短い時間の番組、色々話したい事はあったのですが、まだ序盤という所で「あと5分」というフダが出され、「ふぇぇ…早くシメなければ!!」と焦ってしまい、あまり上手く喋れた自信はありません。笑

 呼んで下さった「ホンマルラジオ南大阪局代表」ディレクターの服部孝康さま、本当にありがとうございます。

 さて、実は私、先々週くらいまで出版社との契約交渉及び記念パーティーの為にオランダに飛んでいたのですが…。悲しい知らせがありました。

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 最近、かつての恩師、そして作曲仲間の友人の家族の死が続きました。私の対位法とフーガの先生の死を聞いた時は、その理由を知る由もありませんでした。しかし、今回、ドルトレヒトのペーター=ヤン・ワヘマンス先生の自宅に招かれた際に聞いた、その理由は更にショックなものでした。

 先生が自死されたと聞いてから、色々な記憶がフラッシュバックし、涙が止まらず、外にも出れない状態が続きました。宿泊していたホテルはとてもよいと思いました。少し値段は高い、ただ、Don’t disturbと札をドアにかけるだけで、ここでは一人になれます。

 先生はもういません。
 私にわかる事は、なにもありません。わかるという事が何なのかを定義する事も、するつも無かった、ただ一人になりたかっただけでした。

 それでも、人の命について、少し今回は書かないといけない気がしています。言葉をもたない死者の為に、今言葉を持っている私が語れる事も、あるのかもしれないからです。

 ちなみに、私の悲しみに共感を求めるわけではないし、「理解」や「同情」を求める事もありません。そういった概念や定義を振りかざすつもりも、押し付けるつもりもないし、私もそういった説教は聴きたくはありません。
 ただ、唯一それを語れたであろう先生は、もういません。

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 自死を望むにあたって、自ら「死にたい」と口にする人に対しては、救いの手を差し伸べられるかもしれない。しかし、それは常に敵をつくる事でもあります。

 多くの人は言う。所詮狂言だろう、同情がほしいだけだ、乞食のつもりか、本当に死にたい人間は死にたいなんて言わない、等々。

 そういった言葉の中で、皆、追い詰められていきます。周りの身勝手な解釈に絶望した先に残るのは何か、想像した事がある人は多くないのかもしれません。
 多くの場合、次に待っているのは、身近な人からの執拗な尋問です。

 じゃあ何があったか言ってみろ、何故誰にも相談しない?、体調が悪いのか?、なら何故医者に行かない?

 しかし、そう問われた時点でもうわかっています。彼らが欲しいのは、所詮彼らの求めている答えでしかありません。自分が本当は何に苦しみ、何に追い詰められているのか、相手に順序立ててわかってもらうように説明する、それが出来るだけの能力も、ちからも、意思も、もうひとかけらも残っていないでしょう。

 言葉が意味をなさないとわかった時、何を言っても、誰にも伝わらないとわかった時、カウンセリングが一時間€50、葬儀は一回€3,000だとただ伝えられ、どちらを選ぶか、自分が払わないでよいのは後者だけだとわかった時に、決意が固まります。

 だから、そういった人は、自死を決めた前でも後でも、適当に相手が喜びそうな事をただ淡々と答える様になります。単純で、納得出来る答えなら何でもいい。適当に仕事上の悩みなどをでっち上げて、早々に査問と尋問が終わるのをただ只管、耐えて待つ、欲しいのは一人の時間と、最後に残された自分を守るためのせめてもの安寧の瞬間だけです。

 しかしそれも永遠ではありません。言語にも人間にも絶望した人間が、どれだけ精神的に追い詰められるかは、なってみないとわからないでしょう。
 そういう人は、ずっと塞ぎ込んでいたかと思うと、急に怒りを爆発させたり、かと思うと今度は突発的に泣き崩れたりする様になる、そういうサイクルを繰り返しているうちに、周りの人間がみんないなくなっていきます。望んだ孤独がやっと手に入る、つかの間の休息。そして、後に、どこからともしれずに訃報が入ります。多くの場合、遺書ものこしません。
 ボロアパートの、木製の机に、爪で言葉にもならない怨嗟を刻み込み、ボロボロの爪が剥がれきった指で、首を括る最期を見たことがある人は、この中にいるのでしょうか。
 死者の目からでた、乾ききった涙の跡が顔に刻み込まれています。
 そして、とうとう本当に何も言えなくなります。彼は狂っていた、正直面倒くさくて関わりたくなかった、そう言われ、誰も悲しまず、ただ忘れ去られるだけです。

 先生の為に作品を書こうと思っています。それがせめて私に出来る事でしょう。

水谷晨 – 2020/2/22

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