なんとロシアへ行くことに!!

こんにちは!!

 先程、といっても昨日の夜ですが、ロシアはサンクトペテルブルグの音楽ディレクターさんから連絡があり、かねてから応募していたVII St. Petersburg International New Music Festivalへの参加が認められたとの事です!

 私の作品は、スイスのアンサンブルTrio SÆTENWINDによって演奏していただけるとの事で、今からとてもドキドキしています。

 私が昔よく読んでいた地図では、この町はまだレニングラードと書かれていました。10代の頃に触れたドストエフスキーの小説に出てくる白夜の街路や市場の描写も鮮明に思い出せます。

 しかし、この都市を何より有名にしたのは、レーニンに率いられたボリシェヴィキ党による10月革命でしょう。まだ、革命の遺産は残っているのでしょうか…ソヴィエトは、革命後にすぐに新たな労働者国家の首都を内陸部のモスクワに移しました。そして、この都市は、ローザ・ルクセンブルクの言葉を借りるなら「労働者による独裁ではなく労働者に対する独裁」、という批判が現実のものとなりはじめた矢先の1921年に起きた、クロンシュタットの反乱の舞台になった、悲惨な歴史をもった場所でもありますね。

 少数の貴族階級と、大多数の文盲、つまり文字すらよめない農民たちによって成り立っていた20世紀初頭のロシア帝国において、プロレタリア革命はその主体となるプロレタリアート、つまり労働者階級を欠いていました。ボリシェヴィキ党の最初の歴史的役割は、何より教育水準の劇的な向上と、そしてスターリンに受け継がれた五カ年計画による工業化、それに伴う労働者階級そのものの育成にあった事でしょう。

 その成果は、現在のロシアが工業国として、そして強国として君臨する下地にもなりました。しかし、マルクスの定義を持ち出すまでもなく国家は所詮は抑圧機構でしかありません。その是非はともかくとして、歴史的役割を終えたソヴィエト連邦は、かつてトロツキーがメンシェビキ党に放った言葉の通り「歴史の掃き溜め」へと消えていきました。

 さて、日本のパスポートではロシアには自由に入国できません。まずはビザの申請をしなくてはです!

 叶うなら、シベリア鉄道に乗ってみたいのですが…飛行機とどちらが安い(または安全)なのでしょう。笑

 昨日は一曲、ソプラノとピアノの為の調性の歌曲を仕上げました。発表はまだ先ですが、出版に回す前に歌手の方と打ち合わせです!

 では!スパシーバ!!

水谷晨

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