母のお見舞いの為に日赤病院に来ているのですが、今は病院でもwifiが飛んでて、凄い時代です。ここで『白い巨塔』や『ドクターX』をネットで見たら皆さまどんな顔をされるのかしら!
さて、母の病室からの帰還までの間、今日はちょっと音楽とテキストとの関係について書いてみようと思います。
西洋音楽はその原初から(ホメロスのイーリアスにもみてとれるように)言葉によって歌われてきましたが、音楽それ自体、つまり「音」について語る事はとても難しい事でした。しかしそれでも、古代ギリシャ以来、様々なテキストが音楽について書かれてきました。ギリシャ神話の有名なヘルメスの交換の神話からはじまり、アテナイのデュオニューソスの祭儀、音律論で有名なピタゴラス、そしてプラトン、アリストテレスと続き、中世のアウグスティヌスやボエティウスなども「音」、そして「音楽」についてのテキストを残しています。しかし中世までのこれらのテキストは星座の運動や物体の振動、またそのさきに見いだされたキリスト教神秘主義と結びついた学際的かつ包括的な傾向を有しており、特に中世においてその傾向は顕著の様に思えます。
「音楽」概念が今日あるように、コンサート会場やサロンなどで演奏される音響芸術の形になったのは、早くとも16世紀、それもイタリアにおいてでしょう。もちろん西洋の歴史において、それまでも「音楽」(Music:英)という言葉も、またその概念もありました。しかし、それらは9世紀のグレゴリオ聖歌から16世紀になるまで、残されてきた譜面の殆どが合唱のためのものである事からもわかるように、その主な用途はキリスト教教会における歌の実践でした。
さて、西洋において「音」について何かを書くという事は、多くの哲学者たちが挑戦し、また同時に失敗してきた事でもあるように思います。有名なジャン=ジャック・ルソー、彼自身も作曲家でしたが、彼もまた同時代のジャン=フィリップ・ラモーとの有名なブフォン論争における様に、その主張の主観的かつ観念論的な性質からは抜け出せませんでした。上記の2人のフランスの学者/音楽家と平行し、ドイツにおける大陸観念論における諸論争も同様です。デカルトの音楽論における情念学説、特に18世紀に盛んに論じられたこの概念もまた、旋律や音律、そして和声などを極めて主観的に論じるものに限られていました。ドイツ観念論の巨人ヘーゲルに至っても同様です。20世紀になってもジャンケレヴィッチ、アドルノなどが皆音楽におけるテキストを残していますが、彼らは抽象論を継承するか、またはその社会的関連性を論じながらも「音」それ自体にはふれない。なぜそうなったのか。
それは恐らく、音響学、そして音響心理学、また「心の哲学」といった学問の不在によるものでしょう。自然学がその学際性から独立し「科学」となったのは遅く19世紀のイギリスにおいてでした。しかし、それから100年たった現代においても、またベルクソンを継いだブルレや木村敏などの努力にも関わらず、どの様な「音楽」が人をいかに感動させ、心を動かすのか、そういった知識は膨大に蓄積され、教育され、また語られるが、しかし「なぜ」それが可能なのかは謎に包まれたままです。脳をいくら解剖した所で、それはクオリアの問題、そして「心の哲学」阻まれる事でしょう。今後の研究でそれが解消されるのか、私は疑問に思っています。
さて、文章をかいているうちに母が戻ってきました。皆様、またつれづれなるままに、書いていこうと思います。あまり面白いネタはないかもしれませんが、一作曲家の日常を綴っていければ嬉しく思います。
帰宅してからも、夏のダルムシュタット夏季現代音楽講習会に向けて、打楽器ソロとエレクトロニクスの作品、そして声のソロの作品、そしてソプラノとピアノの為の作品の作曲です。
ではでは!
水谷晨 – 2020/02/21