テスト

ある歴史的な時代における音楽の在り方を語るにあたって、19世紀のカール・マルクス Karl Marx(1818-1883) は次の様な示唆的な文章を残している。「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意思から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。」(Marx 1859=1966: 9)。この、マルクス主義における芸術論において常に引用されてきた金言が指し示すのは、物質的生産諸力、つまり経済こそが社会の土台であり、この土台が音楽を含む文化、芸術のあり方を規定してきたという歴史的事実である。言い換えるならば、西洋音楽においては相対する上記の二つの方法論が、知的生産形態としての音楽と、自然、労働との関係性における物質的諸生産形態との形態的相関性を持って語られうるものである事を示しているのである。
本稿で分析の対象になる16世紀から19世紀にかけては、西洋音楽の素材が旋律と、その組み合わせという極めて限定された世界観の元に留まった歴史的段階にあたる(註3)。この段階の流れを一言で言い表すとするならば、それはポリフォニーの衰退と、ホモフォニーへの偏重であった。15〜16世紀に全盛を極めたポリフォニーの要素は、17、18世紀を通じて、後期バロック期の巨匠ヨハン・セバスティアン・バッハの諸作品に代表される様に、16世紀末期に新たに発明されたモノディ Monodia 様式に由来する新たな形態であるホモフォニーとの融合が試みられ、次第にそれによってもたらされた新たな理論体系である和声法の支配下に取り込まれる形で軽視されていった。そして18世紀後期のフランツ・ヨーゼフ・ハイドン Franz Joseph Haydn(1732-1809)、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)に至るウィーン古典派の興隆、それに続く19世紀のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven(1770-1827)に始まるロマン主義の時代には(時に懐古的に曲中の一部分で示唆される事はあっても)その歴史からはほぼ駆逐されていき、さらに最終的に19世紀には交響曲、室内楽曲など、数々の様式がホモフォニーの完全なる支配の元で構成されるに至った。一方で、20世紀に反ロマン主義を掲げその権威に対抗しようとする諸作曲家は、従来の形式に反発する形でポリフォニーを復古的に採用していった。よって本稿では、序文において挙げた諸対立を論じるにあたって、それらの技法的骨格でありまた実体的源流でもあった相対するこの二つのテクスチュアの対照およびそれぞれの形態学的性質から出発し、その下部構造との関係性の分析に移る方法をとる。西洋音楽史において、ポリフォニーからホモフォニーへの形態的志向の最初の歴史的転換点となったのは16世紀末期であり、したがって、本稿はこの時代の改革運動を先導した当時のイタリア、フィレンツェにおける運動サークル「カメラータ」を考察する。

ある歴史的な時代における音楽の在り方を語るにあたって、19世紀のカール・マルクス Karl Marx(1818-1883) は次の様な示唆的な文章を残している。「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意思から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。」(Marx 1859=1966: 9)。この、マルクス主義における芸術論において常に引用されてきた金言が指し示すのは、物質的生産諸力、つまり経済こそが社会の土台であり、この土台が音楽を含む文化、芸術のあり方を規定してきたという歴史的事実である。言い換えるならば、西洋音楽においては相対する上記の二つの方法論が、知的生産形態としての音楽と、自然、労働との関係性における物質的諸生産形態との形態的相関性を持って語られうるものである事を示しているのである。
本稿で分析の対象になる16世紀から19世紀にかけては、西洋音楽の素材が旋律と、その組み合わせという極めて限定された世界観の元に留まった歴史的段階にあたる(註3)。この段階の流れを一言で言い表すとするならば、それはポリフォニーの衰退と、ホモフォニーへの偏重であった。15〜16世紀に全盛を極めたポリフォニーの要素は、17、18世紀を通じて、後期バロック期の巨匠ヨハン・セバスティアン・バッハの諸作品に代表される様に、16世紀末期に新たに発明されたモノディ Monodia 様式に由来する新たな形態であるホモフォニーとの融合が試みられ、次第にそれによってもたらされた新たな理論体系である和声法の支配下に取り込まれる形で軽視されていった。そして18世紀後期のフランツ・ヨーゼフ・ハイドン Franz Joseph Haydn(1732-1809)、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)に至るウィーン古典派の興隆、それに続く19世紀のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven(1770-1827)に始まるロマン主義の時代には(時に懐古的に曲中の一部分で示唆される事はあっても)その歴史からはほぼ駆逐されていき、さらに最終的に19世紀には交響曲、室内楽曲など、数々の様式がホモフォニーの完全なる支配の元で構成されるに至った。一方で、20世紀に反ロマン主義を掲げその権威に対抗しようとする諸作曲家は、従来の形式に反発する形でポリフォニーを復古的に採用していった。よって本稿では、序文において挙げた諸対立を論じるにあたって、それらの技法的骨格でありまた実体的源流でもあった相対するこの二つのテクスチュアの対照およびそれぞれの形態学的性質から出発し、その下部構造との関係性の分析に移る方法をとる。西洋音楽史において、ポリフォニーからホモフォニーへの形態的志向の最初の歴史的転換点となったのは16世紀末期であり、したがって、本稿はこの時代の改革運動を先導した当時のイタリア、フィレンツェにおける運動サークル「カメラータ」を考察する。

ある歴史的な時代における音楽の在り方を語るにあたって、19世紀のカール・マルクス Karl Marx(1818-1883) は次の様な示唆的な文章を残している。「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意思から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。」(Marx 1859=1966: 9)。この、マルクス主義における芸術論において常に引用されてきた金言が指し示すのは、物質的生産諸力、つまり経済こそが社会の土台であり、この土台が音楽を含む文化、芸術のあり方を規定してきたという歴史的事実である。言い換えるならば、西洋音楽においては相対する上記の二つの方法論が、知的生産形態としての音楽と、自然、労働との関係性における物質的諸生産形態との形態的相関性を持って語られうるものである事を示しているのである。
本稿で分析の対象になる16世紀から19世紀にかけては、西洋音楽の素材が旋律と、その組み合わせという極めて限定された世界観の元に留まった歴史的段階にあたる(註3)。この段階の流れを一言で言い表すとするならば、それはポリフォニーの衰退と、ホモフォニーへの偏重であった。15〜16世紀に全盛を極めたポリフォニーの要素は、17、18世紀を通じて、後期バロック期の巨匠ヨハン・セバスティアン・バッハの諸作品に代表される様に、16世紀末期に新たに発明されたモノディ Monodia 様式に由来する新たな形態であるホモフォニーとの融合が試みられ、次第にそれによってもたらされた新たな理論体系である和声法の支配下に取り込まれる形で軽視されていった。そして18世紀後期のフランツ・ヨーゼフ・ハイドン Franz Joseph Haydn(1732-1809)、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)に至るウィーン古典派の興隆、それに続く19世紀のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven(1770-1827)に始まるロマン主義の時代には(時に懐古的に曲中の一部分で示唆される事はあっても)その歴史からはほぼ駆逐されていき、さらに最終的に19世紀には交響曲、室内楽曲など、数々の様式がホモフォニーの完全なる支配の元で構成されるに至った。一方で、20世紀に反ロマン主義を掲げその権威に対抗しようとする諸作曲家は、従来の形式に反発する形でポリフォニーを復古的に採用していった。よって本稿では、序文において挙げた諸対立を論じるにあたって、それらの技法的骨格でありまた実体的源流でもあった相対するこの二つのテクスチュアの対照およびそれぞれの形態学的性質から出発し、その下部構造との関係性の分析に移る方法をとる。西洋音楽史において、ポリフォニーからホモフォニーへの形態的志向の最初の歴史的転換点となったのは16世紀末期であり、したがって、本稿はこの時代の改革運動を先導した当時のイタリア、フィレンツェにおける運動サークル「カメラータ」を考察する。