近況報告

 こんにちは!

 さて、最近はてんで現代音楽がかけなくなってしまいました。原因は、身近な人の相次ぐ死別、そして世界を襲う恐ろしい流行り病での死者の数が、大陸だけで2,000人を超えたというニュースを見た事、そういった事情が重なり、自分の中ですっかり音響で新たな形象を形づくるという気力が無くなってしまったからです。

 今は、とにかく旋律とメロディー、歌を求めています。幸い、夏にいくつかの音楽祭の為にロシアやヨーロッパに渡る事が決まりましたが、果たしてそれに向けてちゃんと新作の現代音楽が書けるのか、自分の中で自問自答しては、現実逃避の様に歌曲の作曲にばかり勤しんでいます。

 人は一人亡くなれば、その人の人格は尊重され、丁重に葬られる。しかし、死者の数が1,000人、2,000人となってしまうと、それはもはやただの数でしかない。なんとも、悲しい事です。

 さて、しかし、いいニュースもあります。先日、夜行バスで上方へ行って参りました。目的は冬の京都観光…ではなく、友人の作家さんを尋ねる事です。昼に待ち合わせ、話し込んでいたらいつの間にか夜、日本酒をキメたまま夜行バスに乗るのは完全にフラグなので出発前には2時間ほどネットカフェで仮眠をしましたが、やはり西の料理も北陸の日本酒も美味しい。

 そして、改めて思いましたが京都、言葉が綺麗ですね。大阪の言葉ともまた違う。私が歌詞を書いてもらう方は今までずっと東国の出身の人が多かったのですが、上方やさらに西国に行くと、その国の作曲家たちは全く同じ詞に全く違うメロディーを乗せる事でしょう。

 言葉は常に歌われなくてはならない、そう思ったのは以前、イタリアに行って現地の方々の会話を聴いていた時でした。イタリア語は話し声すら歌声に聴こえる、ヨーロッパでもアルプス以北の人々の言葉とはとても異質な響きでした。日本もイタリアも、多くの地方があり、多彩な方言がある。この豊かさが今後も引き継がれていき、さらに発展する事を一音楽家として願ってやみません。

 全ての死者は言葉を持たない。彼らの言葉を自らのものとして引き受け、そして語り継ぎ、歌い継いでいくのが今を生きるものの使命ではないか、そう思う事があります。私の身体と声があるうちは、その事をつねに考え、譜面に向かい合いたいと思います。

水谷晨

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