カメラータ試論

水谷晨

◆序
本稿の目的は、西洋音楽史の分析を通じて、文化における革命を論じる事である。ルネサンス期、16世紀のイタリアにおいて、ある運動が起こった。「カメラータ」と呼ばれる彼らの革新は、西洋音楽の在り方を今日に至るまで抜本から覆すものであった。ここでは、彼らの行った革新の意義を、作曲技法の二つの側面「ポリフォニー」と「ホモフォニー」の対立から解き明かし、さらには音楽と社会、歴史との関わりへと考察を広げていこうと思う。

◆ポリフォニーとホモフォニー
まず多くの読者にとって耳慣れないであろう「ポリフォニー」と「ホモフォニー」、これらの言葉の意味をみてみよう。ポリフォニーとは、幾つもの旋律が同時に、しかしそれぞれ独立して組み合わされるような音楽の事である。ヨハン・セバスチャン・バッハの有名なインヴェンションとシンフォニア《Inventionen und Sinfonien BWV 772-801》を思い起こされたい。ここで聴かれる様に、重ね合わされる旋律はそれぞれ対等な重要性を持つ。ホモフォニーとは、それとは対照的に、一つの主たる旋律を他の音楽的要素が装飾し引き立てていく様な、主旋律と伴奏との関係の元に成り立つ音楽である。今日のポピュラー音楽は殆どこの形態である。この二つの楽曲形態において、複数の旋律を重ね合わせる技法を「対位法」、また同時に鳴らされる和音を滑らかに繋いでいく技法を「和声法」とそれぞれ呼ぶ。このうち「和声法」が定式化されたのは遅く18世紀であり(註1)、故に古代ギリシャから中世ー16世紀に至るまでのホモフォニーの歴史的な在り方を語るにあたっては、楽曲の構成法を軸にみていく必要がある。ホモフォニーの楽曲構成において、複数のひとまとまりの旋律によって構成される部分を反復しつなぎ合わせ構成するあり方(例:フレーズAに対し対照をなすフレーズBをA-B-A..、又はA-A-B-A…といった具合に)を「有節形式」と呼ぶ。また、このような楽曲の構成形態全般を楽曲形式――「楽式」――と呼ぶ。
この論考は、「ポリフォニー」と「ホモフォニー」の二つの楽曲形態、それを支える作曲技法である「対位法」と楽式構成における「有節形式」、以上の4つのキーワードにそって進められる。

まず、本稿を論じるにあたって、古代ギリシャにおける音楽の源流を探る事から始めたい。前5世紀の哲学者プラトンは『国家』において「言葉[λογουσ:古希]というものを、音楽・文芸[μουσικη:古希](=ムーシケー*著者注)に属するものとして考えるかね、それとも、そうは考えないかね?」(Plato 1922: 376E=[1979]1991: 153-4)と問いかけている一文がある。ムーシケーとは、古代ギリシャにおいて詩、音楽、舞踏が一体となった表出の事であり、今日の印欧語族における音楽(music:英)を表す言葉の語源となった。ここにプラトンが示した憤慨において見て取れるのは、ムーシケーが言葉や身体の担保する言語的、身体的な意味内容から切り離され、ピタゴラス音律に代表されるような音律理論の発展と並行して、総体的な技術――テクネー[τεχνη:古希]――として独立させられ、取り込まれていった流れである。こうして、ムーシケーは今日言われる様な「音楽」という概念に近づいていった。しかしそれでもなお、観念的な形で切断されたムーシケーとテクネーという二つの側面の対立は、新たな概念「音楽」の内にそれぞれ潜在的に継承されていった。これらは19世紀、ロマン主義の時代にギリシャ神話におけるアポロンとデュオニューソスにそれぞれ代表されるような原理的対立、量と質との二元論的な矛盾に還元されうる。故に上記のプラトンの言説は、彼の生きた時代が人類史における音楽の継承の歴史における量と質、またそれらの現象的側面であり、対応する音楽存在の両義的側面である「形式」と「内容」の対立、その黎明期であった事を意味するのである。20世紀初期までの歴史に限定するなら、西洋音楽における上記の対立は、形式の技法的構築においてそれを担う二つの相対する方法論に収斂する。それらは双方ともグレゴリオ聖歌におけるモノフォニー――伴奏も和音も伴わない単旋律の形態――をその源流とし、一方は12-3世紀に記譜法の発明と共にローマ教会によって規定されたテキストに基づく聖歌として発展を遂げた対位法、そしてもう一方はトルバドゥールやミンストレルなど宮廷の吟遊詩人による世俗詩の定形を元に発展した有節形式である。これらの発展は、それぞれ双方を技術的支柱とする二つの形態であるポリフォニーとホモフォニーとの対立として歴史に現象してきた。本稿における私の目的はこの対立の唯物論的な把握にある。20世紀において、第二次ウィーン楽派の作曲家、理論家のアーノルド・シェーンベルクは『作曲の基礎技法』にて、ポリフォニーとホモフォニーの技法には根本的な違いがあると述べた上で「ホモフォニーの場合のメロディーの扱い方というものは、動機を変奏して展開させる方法を基本としている。対位法的な扱い方(=ポリフォニー*著者注)では、これとは対照的に、動機は変奏しないで、基本となるテーマ、または各テーマに内在する組み合わせの可能性を展開する」(Schönberg 1967=1971: 152)と結んでいる。これは、純粋に作曲法の観点から見ても、ポリフォニーとホモフォニーが、それぞれに内在する目的性においても異なる事を示している(註2)。そして西洋音楽史における二つの革命の時代において、諸作曲家はこれら二つの相対する構成形態を時に革新的に、また時に復古的に採用してきた。

ある歴史的な時代における音楽の在り方を語るにあたって、19世紀のカール・マルクスは次の様な示唆的な文章を残している。「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意思から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。」(Marx 1859=1966: 9)。この、マルクス主義における芸術論において常に引用されてきた金言が指し示すのは、物質的生産諸力、つまり経済こそが社会の土台であり、この土台が音楽を含む文化、芸術のあり方を規定してきたという歴史的事実である。言い換えるならば、西洋音楽においては相対する上記の二つの方法論が、知的生産形態としての音楽と、自然、労働との関係性における物質的諸生産形態との形態的相関性を持って語られうるものである事を示しているのである。
本稿で分析の対象になる16世紀から19世紀にかけては、西洋音楽の素材が旋律と、その組み合わせという極めて限定された世界観の元に留まった歴史的段階にあたる(註3)。この段階の流れを一言で言い表すとするならば、それはポリフォニーの衰退と、ホモフォニーへの偏重であった。15〜16世紀に全盛を極めたポリフォニーの要素は、17、18世紀を通じて、後期バロック期の巨匠ヨハン・セバスティアン・バッハの諸作品に代表される様に、16世紀末期に新たに発明されたモノディ様式に由来する新たな形態であるホモフォニーとの融合が試みられ、次第にそれによってもたらされた新たな理論体系である和声法の支配下に取り込まれる形で軽視されていった。そして18世紀後期のヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに至るウィーン古典派の興隆、それに続く19世紀のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに始まるロマン主義の時代には(時に懐古的に曲中の一部分で示唆される事はあっても)その歴史からはほぼ駆逐されていき、さらに最終的に19世紀には交響曲、室内楽曲など、数々の様式がホモフォニーの完全なる支配の元で構成されるに至った。一方で、20世紀に反ロマン主義を掲げその権威に対抗しようとする諸作曲家は、従来の形式に反発する形でポリフォニーを復古的に採用していった。よって本稿では、序文において挙げた諸対立を論じるにあたって、それらの技法的骨格でありまた実体的源流でもあった相対するこの二つのテクスチュアの対照およびそれぞれの形態学的性質から出発し、その下部構造との関係性の分析に移る方法をとる。西洋音楽史において、ポリフォニーからホモフォニーへの形態的志向の最初の歴史的転換点となったのは16世紀末期であり、したがって、本稿はこの時代の改革運動を先導した当時のイタリア、フィレンツェにおける運動サークル「カメラータ(Camerata:伊)」を考察する。

◆カメラータと形式の革命
9世紀の記譜法の発明にその起源を持ち、12世紀の自由オルガヌムに始まり16世紀にジョバンニ・ダ・パレストリーナによって一応の理論的完成を見た対位法は、16世紀を通じて西ヨーロッパ世界の教会音楽を独占していた。中世ールネサンス期において、それによってもたらされたポリフォニーの楽曲構成形態は教会音楽を席捲し、また教会音楽家(当時はまだ今日における職業作曲家は存在しなかった)の志向もその技術の体系化にあった。ジョスカン・デ・プレ(註4)によって広められパレストリーナにおいて完成された通模倣様式は、旋律の提示と、そのパラフレーズの連続からなる。
この時代を代表する音楽として、パレストリーナのミサ曲《Missa Aeterna Christi munera》より《Benedictus》を聴かれたい。声域によって3つに分割された合唱隊において、最初に第二声部(tenor)によって歌われた断片を継起的に下声部(bassus)が、次に最上声部(altus)が提示し、それらが次々とパズルのように連なっていく。模倣を明確にする為に、グレゴリオ聖歌からテキストと共に引用された旋律は、その経時的な発展の中に近似したリズムの反復を避け、また明確な頂点と流暢な音高の推移を求めたのが見て取れるだろう。対位法は、ジョゼッフォ・ツァルリーノ(註5)などの当時の理論家、作曲家によってその方法論が高度に組織され、それぞれの旋律の独立性を確保する為に、全ての声部に多くの禁則が設けられた(註6)。技法上の禁則はパレストリーナの例を見てもわかる様に、言語における文法の様に、外在的かつ超越的必然性に基づく目的性によって即自的に組織、構築されていき、作曲という行為が自己疎外そのものという様な意識をもたらした。これは言いかえるなら、社会構成体の一側面としての抑圧の人格的表現である所の作曲家の意識に現前する宗教的抑圧を、その形態の中にもつものである。封建主義は、当時のキリスト教的世界観の元、唯一神に担保された全体性が静的で完成された対象としてそれ自体の上に君臨する意識を体現せしめるものであった。それは後の時代にフォイエルバッハがキリスト教における神について書いた一節における指摘「自分からは区別された――そうだ自分に対立させられた――他の本質(存在者)としての自分の本質に対して関係する」 (Feuerbach 1841=1937: 27)に現れる神性が、音楽における諸存在――本稿で分析の対象としているエートス――における実践の本質に先立つ事を明示している。封建主義は、フォイエルバッハの指摘する人間の自己疎外としての神を、この本来作曲家の個性として現象するはずの人間の内在的発展性に対して外的な存在として、その絶対理念に基づき展開された学問という形態で現象せしめたのだ。後期封建時代の音楽が、七自由科の一つ「アルス・ムシカ(Ars Musica:羅)」として、その形式の内に引き受けたのは、その様な諸存在の必然性故であり、また学問としての「アルス・ムシカ(Ars musica:羅)」がその実践形態としての「アルス・プラクティカ(Ars practica:羅)」と分離させられたのも、この両者の対立の一つの現れであったといえる。このように、ルネサンス期の作曲技法においては、神性が音楽の部分に先立ち、またその先立つ神性こそが対位法の本質なのである。この神性において潜在的に現象している対立を読み解くにあたって、改めてマルクスの立場に立ち返り、20世紀におけるスターリンの言説を引こう。スターリンはそのマルクスの史的唯物論を紐解くにあたって、そこに改めて内容と形式との矛盾を見出し、「現存する形態が現存する内容にけっして完全に照応するものでなく、前者は後者より遅れ、新しい内容がいつまでもある程度古い形態を纏、その為に古い形態と新しい内容の間にはいつでも衝突がある」(Stalin 1938=1954: 47)と述べている。この史的唯物論の根幹を完結に表現した一文は、16世紀における音楽の歴史的形態を見事に表している。
この時代において、こと音楽において潜在する課題は明らかだった。仮構された超越性を廃して、形式に内容を従属させるのではなく、歴史的内容に形式が奉仕する新たな方法論を確立する事だ。その為には何が必要か、またその具体的な形式とはいかなるものだったか。
カメラータの運動は、この時代に全盛を極めた教会におけるポリフォニーに偏重した音楽形式からの脱却を目指して現れた。彼らに始まる16世紀末期-17世紀の技術上の革新は、多くの声部が対等に主張する従来の書法を脱却するものだった。この運動は、古代ギリシャ悲劇における形式の参照の元、独唱、または少人数による重唱を楽器により即興的な伴奏――通奏低音(basso continuo:伊)――で支え装飾する新たなる楽曲形態を導入した。これは純粋に当時の古代ギリシャ音楽に対する考古学的な考察から生み出されたものであったが、モノディと呼ばれるこの形態において「語るように歌う」レチタル・カンタンド(recitar cantando:伊)と方法論が、その一つの旋律の優位性、「主旋律」とそれに従属する「伴奏」の概念の提唱によって、後の時代、19世紀を席捲するホモフォニーの原型となるのである。
初期のモノディの例として、ジュリオ・カッチーニの曲集《Le Nuove Musiche》(1601)から《Amarilli, mia bella》を聴かれたい。モノディの代表例でもあるこの曲集は、従来の壮麗な合唱は影を潜め、一人の歌手による歌唱が通奏低音の伴奏によって奏でられる。また、パレストリーナと比較してみると明らかな様に、言語それ自体の持つ抑揚、リズムの優位性と、それによって歌われる旋律の音高、リズムの従属性が聞き取れるであろう。モノディにおける主旋律の優位性とは、ムーシケーにおける言語ーロゴスの優位性の元での有機的な結合の志向と直接に結びついている。彼はこの曲集の序文において、第二作法(seconda pratica:伊)の擁護と保守的なポリフォニーである第一作法(prima pratica:伊)に対する批判が書いているが、ここで対象になる旧時代の音楽こそパレストリーナの様式であり、この批判は、単にパレストリーナの技法的な側面のみならず、すでにみてきたように、それが体現していた旧社会の秩序、封建主義の桎梏そのものであった。
モノディの発明は、技法的には一方で旋律のより豊かで自由な発展を、一方でより大規模で有節的な楽式構成を可能とした。この可能性は同時に、超越的かつ外在的であり神に担保されたルネサンス的な客観的時間と、人間がその人間主義的意識――ここでは言語表現の優位性に現象する――に引き受ける所の主観的時間とをつなぐ契機が生み出された事を意味する。いうなれば、音楽における個人主義的な発展の可能性それ自体を、16世紀に発展した諸技法を止揚する形でその内に取り込んだのである。この人間主義的意識とは一体どの様なものだったのか。その意義をモノディの発明の真の革新性と重ねあわせて捉える為には、ポリフォニーの性質について、今度は人間の意識がどの様に立ち現れるかを、主観の側から考察する必要があるだろう。

◆モノディの革新的な意義を明らかにするためのポリフォニーの性質研究
まず、先に述べたポリフォニーの形態的な本質によって、数々の禁則によって飽和した時間外構造の元では、個人の意識に並行するいかなる有機的時間の発展も望めないのは明白だ。なぜなら、ベルクソンを持ち出すまでもなく、人間的時間は極めて狭い空間的性質しか持たず、それを素材として対象化、形象化する可能性があるとすれば、同時性と記憶との間の弁証法を経ねばならなないからである。古代ギリシャにおけるムーシケーは、この対立を超えたいわば純粋持続をその場とした表出であったが為に、その現象における主観と客観の対立は常に主観の側に統合されたか、またはその絶対的優位に基づく自立性に裏打ちされる形で無視出来ていた事が想像に難くない。しかしパレストリーナ以降の時代においてこの表象を時代精神に統合する方法は、ポリフォニーの別の側面である同時的な音響の構成を、時間の内部における形式の元で統合する事、つまり経時的な構成法であるホモフォニーに還元する事に他ならなかったからである。この様な性質の差異の元、前述した二つの形態において、ポリフォニーの調和が人間の主体性の場である意識に対する抑圧をその形式に引き受けたのと対照的に、ホモフォニーは、直接的な人間意識のうちに発展性を内在せしめる場としての形式を取り戻す可能性を切り開いた。一方、モノディーの発明それ自体は、表面上は当時のルネサンス精神の現れとして、古代ギリシャのムーシケーの復興という目標を持ち、それはまた彼らの参照したプラトンによって主張されたところの、ロゴスを伴う倫理的な作用を期待するものであった。彼らの復興せんとした倫理的作用は、中世神学において象徴体系を通じて意識に外在する神性から、人間意識に内在する神性への視点の移動であり、宗教的権力構造を意識の内に取り込む事で消化していった。そこで得られた新たな視点は、それに対応する新たなる時代の精神へと導かれる事となる。それは歴史的にはデカルトにおけるコギト――近代的自我――の定立と平行している事は言うまでもないだろう。

◆モノディの不十分性
かくして、運動の拠点となった邸宅の持ち主ジョバンニ・デ・バルディ伯爵を中心として当時のイタリアの寄生知識人によって入念に計画され実行に移された改革は、それに加わった作曲家、歌手であるヤコポ・ペーリによるギリシャ神話を題材とした歌劇、オペラの誕生をもって、音楽史におけるルネサンス時代に終止符をうった。しかし、一方でその形式と内容においては、スターリンの指摘した矛盾をそのまま引き継ぐ事となったのである。それはなぜか。
カメラータの運動を土台から分析するならば、それは巨大な劇場を支え運営するだけの富の集積と、それによって養われる一定数の職業音楽家の出現、印刷、出版諸技術の浸透といった諸交通の発展を待って行われたという意味において、歴史に対して従属的な出来事であったと言える。現に、この従属性は後述する様な、音楽の内容における反動的性質をもたらした。新たな時代におけるオペラは、その内容において、初期においては前述した通り古典劇の復興であったが、次第に世俗的な性質を帯びるようになり、貴族階級の宗教的束縛からの解放の希求、また上級市民の享楽の歌として彼らに娯楽の提供という役割を担っていく。一方で音楽家、作詞家は支配階級の召使いにとどまり、上演の場としての劇場は、その運営形態において封建支配の装置としての本性を露呈する事を厭わなくなった。これらの反動性は、技法的な側面においても、楽曲構成、楽式の面における後進性として現象してくる。
その後進性とは何か。それを具体的に探る為に、バロック時代のオペラにおける二つの楽式分類を見てみる必要がある。バロック時代のイタリア・オペラは、アリアと呼ばれる独唱曲と、それをつなぎ物語を進行させる叙唱――レチタティーヴォ――のそれぞれ機能の異なる二つの類型化された楽曲群によって構成される。一方のアリアはAーBーAの有節形式をとり、中間部(B)が対象をなす調性によって書かれ、提示部(A)と中間部(B)の対立はそれに続き装飾され再び反復される提示部(A’)により回収される。このアレッサンドロ・スカルラッティによって定式化された形式はダ・カーポ・アリアと呼ばれ、中間部に対照を持つ事でドラマチックな感情表現が可能となったが、対立の統合という意味において弁証法として不完全な形式に押し込められた。AとBの対立は再びAの変形に帰結し、この対立が止揚され発展する事は無い。楽式構成のダイナミズムを押し込めた円環する構造の元、人間の経時的かつ主観的な意識の存在する場として復興された音楽は、楽曲のマクロ構造においては人間意識を非発展的な秩序=指向性を持たずカオス――疎外の構造――の侵食の内に浮遊した意識形態の元に押し込めた。またそこに提示されるバロックな人間的時間においても、その内在的目的と矛盾する全体構造に従属させられる結果となった(註7)。
ジェルミニアーノ・ジャコメッリのオペラ《Merope》(1734)におけるダ・カーポ・アリア《Quell’usignolo che innamorato》の「ファルネッリ版」を聴かれたい。提示部(A)に始まり、中間部(B)を挟んで反復される再現部(A’)は、多く歌手によって華麗に即興的に装飾されて歌われた。最初の提示部の(A)は器楽による華麗な前奏部分から明確なフレーズの終止(cadence:英)を経由して歌のフレーズが現れる。器楽による部分――リトルネロ――を挟んだ後に後部楽節に移行し、引き伸ばされた小終止のカデンツが歌われた後に、器楽による再びリトルネロをはさみ半音階的な(B)楽節に移行する。当時のスペインやオーストリア帝国の王室から最高の賓客としてもてなされたファリネッリ(本名カルロ・ブロスキ)と呼ばれた歌手は、このアリアの即興的な変奏とカデンツァを楽譜に書き込んでオーストリアの女帝マリア・テレジアに捧げた。この表情豊かな表出は、バロック時代の情念の描写に大きな示唆を与えてくれる。ここに聴かれる様な形で、オペラにおいて即自的なドラマトゥルギーと同じく自律的な音楽との結合と対立は、その双方の関係においてもまた形式と内容とを相互に束縛していったのである。この束縛は、内容――ドラマトゥルギー――が、内容に先立つ形式の過剰な先進性との間の矛盾によって反作用を及ぼし、この反作用に飲まれた形式もまた、歴史に対して真なる内容をもたらす事はなかった歴史的帰結を表している。このように、バロック時代の音楽は、その表象のみの調和とは裏腹に、常に崩壊の一歩手前にある重大な危機を内包していたのである。
この分裂は、同時代の宮廷舞曲においても現れている。バロック時代のイタリア及び諸欧州都市におけるオペラの興隆と平行して、同時代のフランス、イタリア、南ドイツにおいて器楽による舞曲が盛んに作られたが、それらの多くは中世、ルネサンス以来の伝統を反映し、一定のリズムを持ち明確な終止を提示するAB:BAの二部形式によって書かれていた(註8)。それぞれのセクションは対象的な調で終止し、また舞踏という目的に合わせてセクションは反復される。その反復もまたダ・カーポ・アリア同様に、ダンスのステップに象徴される円環する外延的な合目的性に従属していた。16-17世紀の宮廷舞曲は、殆どが通奏低音による即興的な形で書かれている。これら舞曲が対位法的に洗練された形で記譜され、舞踏会のみならず演奏会用に広く出版されるのは「組曲(suite:英)」の誕生と平行する。組曲という形式は、前述した宮廷において演奏されてきた諸舞曲、及び前奏曲のみならず、後にはアリアなどオペラに由来する諸様式をもまとめて一つの演奏会用作品として組み合わせたものであり、19世紀のソナタ、交響曲における多楽章様式の祖先に当たる。

よってここではジャコメッリと同時代の巨匠、ヨハン・セバスチャン・バッハ(以下、慣例に習い大バッハとする。)の有名な独創チェロの為の組曲《Cello Suite No.1 in G major, BWV 1007》を聴かれたい。この作品は、即興的な分散和音によって奏でられる前奏曲《Praeludium》に始まり、ドイツ風2分の2拍子の《Allemande》、フランス風の軽快な3拍子の《Courante》、スペイン風の落ち着いた3拍子による《Sarabande》を経由し、3拍子のフランスに由来する《Minuet》、アイルランド風の8分の6拍子の《Gigue》の各種舞曲によってまとめられている。ここに提示される大バッハの作曲技法は、18世紀の音楽の突き当たった歴史的限界がのちの時代にどの様に超克されるか、その貴重な示唆を含んでいる。なぜなら、大バッハの生きた時代は、この「組曲」という形式における舞曲の組み合わせや楽式構成が定式化され、また豊かに拡大された時代にあたり、またその終焉の時代でもあったからだ。この歴史の微妙な位相のずれ故に、大バッハの作品の真髄は、18世紀の初期において情念学説の元でその非言語的、抽象的な特性故に退けられる傾向にあった器楽曲、特に独奏楽器の様なシンプルな楽器編成においてより顕著に現れる事になる。前述の意識における時空の弁証法は、人間の歴史においても同様に現れる。なぜなら、ある歴史的段階において提示される素材が、過去の歴史の蓄積との間に現れる弁証法を経て、現在性の元にあっては決して逃れられなかった道具的ー外延的な要素の捨象と、本質の抽象を得るからである。前述した我々の意識における記憶と持続との弁証法と同様の現象は、人間の歴史におけるマクロな時間においても見いだせるのである。このようにして得られた素材は、新たな時代の作曲家の前に抽象された形で提示される。その例は、先に上げた大バッハの独奏チェロの組曲における有名な冒頭の《Praeludium》において見て取れるだろう。この単旋律に限定される独奏チェロの楽器法的限界の中から分散和音で豊かなハーモニーを引き出す手法を聞かれたい。この作品に貫徹されている形象は、ある聴き方においては分散和音の提示による旋律の不在であり、また一方でその分散和音が同時に純粋な単旋律ーモノフォニーの元による和声法、対位法の構造をも包摂している。そのような両義性において、分散和音の形象がその多面的な構造における音楽現象の形態として、前節において論じてきた相対する構成形態の両側面が止揚され、超越的な象として我々の意識に現前するのである。このような形で、大バッハは、いわば歴史の結晶を超越的な時間ー空間における運動として見事に描きだしたのである。この業績を社会的な視点でみるなら、大バッハの行った素描は抽象された歴史の蓄積をその素材として用いて初めて可能になる創作の形であり、今日評価されている大バッハの偉大さは、彼の生きた時代においてはすでに過去のものとなりつつあった各種形式の豊かな遺産の消費によって初めて得られたものであるとも言えるだろう(註9)。このような業績において、大バッハは名実ともにバロック時代最後の作曲家であり、西洋音楽の歴史的流れ全体をして17-18世紀の音楽形式にピリオドを打ったと言える。それは、歴史を消費しつくした後に絞り出された最後の一滴の輝く雫であった。この雫に見られる超越的な抽象性こそ、逆説的に18世紀の音楽が、そのミクロなテクスチュアにおいて新たに開拓された主観的な意識と、楽式構造における形而上学的な世界観との対立を形成し、またその場をなす諸関係においては封建主義を形式の内に引き受けたところの、上記の桎梏を反作用的に浮かび上がらせるのである。大バッハは、音律に、またドラマトゥルギーと抽象性に、様々な形態分裂を起こしたバロック時代の音楽において、それを一つの歴史的な統合として止揚、提示を目指したのであり、またある時代においては、その完成であったとすら言える。大バッハの音楽がその後の時代に顧みられなくなったのは、その諸技法が彼によって発展し尽くされた為に、誰もその道を継ぐ事ができなかったからだ。それはマルクスの『経済学批判』を引くまでもなく、新たな革命の時代の到来を表している。つまり、ある生産諸関係が発展しつくし、それが破壊されるときが来たのである。

◆結論
以上が、私が組み立てようと試みた16世紀から18世紀に至る、カメラータに始まりヨハン・セバスティアン・バッハに終わる一つの時代の概論である。20世紀において新たな文化革命を、より大規模な形で実践した毛沢東は、その理論的支柱となった論文『矛盾論』の冒頭において以下の様にかいている。「人類の認識の歴史のうちには、以前から、世界の発展法則についての二つの見解がある。その一つは形而上学的な見解であり、他の一つは弁証法的な見解であって、それらはたがいに対立する二つの世界観を形成している」(毛 1937=1957: 1)。西洋音楽においてこの二つの世界観は、16世紀のカメラータが登場した時点ですでにその意識の内に提示されていた。形式に内在する自律的発展性が新たな内容を獲得する為の土台を持たず、その瑕疵が形式それ自体における形態的な桎梏へと結びついた事は、歴史的な反省点として記憶されるだろう。このように、革命は不完全であった。しかし形而上学的な見解と弁証法的な見解、この両者の対立が、前者の形態的な桎梏の認識の可能性が後者によって超克され吸収される未来までを予告していたのである。この認識こそが、ギリシャ悲劇における倫理性として現象する即自的な精神を、来る革命の時代におけるブルジョア階級の対自的精神へ発展せしめる可能性を秘めていたのである。この自覚を促したという意味において、カメラータの運動は歴史的な意義を持った。(註10)故に、この16世紀末期の改革を総括するならば、それは内容に先立って行われた革命、「形式の革命」であったと結論づけられるのである。

【註釈】
註1

ジャン=フィリップ・ラモー『和声論(Traité de l’harmonie:仏)』(1722).

註2

二つ以上の旋律が同時に鳴らされる場合、その上下の関係性を論じる学問としての対位法は超ー時間構造の根幹をなしており、また音楽が即時的な存在である限りは同時性の構造化もまたそれと並ぶ一次的な課題である。このように、前述した二つの方法論は音楽における同一の実体のそれぞれ相関的な別の側面を差し指している。そして、音楽が旋律的なものである限りにおいて、また旋律の運動性において同時的かつ経時的な組み合わせ(=composition:英)を行おうとする限りにおいては、時間と空間の位相の中で得られる形象は一次元的に限定される。その結果として志向されるポリフォニーとホモフォニーの二つの形態は超ー時間構造(クセナキスの言葉を借りるなら「時間外構造」)において、それを貫くスペクトラムの双極をなしているからである。この量的なスペクトラム上における差異が質的な形象をなして我々の意識に現象している形象を、それぞれの時代において主体的に人間がその創作の素材として利用してきた。またこの素材をどの様に形象化するかが、常に音楽美学上の論題であった。それらは、18世紀フランスにおいてジャン=ジャック・ルソーとジャン=フィリップ・ラモーによって争われた有名な「ブフォン論争」(ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージの1752年に世に出たオペラ《La serva padrona》がパリで初演された事に端を発する。ラモーの和声の優位を強調する作曲技法が、旋律の優位を主張するジャン=ジャック・ルソーによって攻撃された。)をはじめ、同時代のドイツにおいてはヨハン・マッテゾン、ヨハン=フィリップ・キルンベルガーらによって争われた論題ー旋律と和声、どちらを一次的とみなすかという神学的対立ーの例においても見て取れる。

註3

現代においては電子音響合成技術の発展によって、音楽の素材は「音色」それ自体の構成にまで及んでいる。また、持続、音程、強度といったそれぞれ個別に認識されていた各種要素の境界も曖昧になってきている。この流れはアルノルト・シェーンベルク、アントン・ウェーベルンらの「音色旋律」の実践にはじまるが、こと戦後においてこの潮流を決定づけた1950年台のカールハインツ・シュトックハウゼンの諸実験であろう。シェーンベルクの《5 Pieces for Orchestra, Op. 16》(1909)、またシュトックハウゼンの《elektronische studie I》(1953)を聴かれ、対比されたい。またシュトックハウゼンの論文『いかに時は過ぎるか』(1957)(以下参考文献参照)も、リズムと音程の漸次的連続性を論じている。興味のある読者はあわせて読まれたし。

註4

ジョスカン・デ・プレの様式はムシカ・レセルヴァーダ(Musica reservata:羅)と呼ばれたが、それは一環した感情の抑制とその形態を表しているという意味において、カメラータ以前の音楽観を明確にしめしている。

註5

ツァルリーノの著作は『ハルモニア教程(Le institutioni harmoniche:伊)』(1558).『ハルモニアの証明(Dimonstrationi harmoniche:伊)』(1571)などがある。彼の音楽理論は、対位法の技法のみならず、旋法論、音律論を包括するものであった。

註6

16世紀の対位法を今日の諸国の音楽大学で教えられるのと同様の教程的過程に編纂して定式化したのは、18世紀のヨハン・ヨーゼフ・フックス著『パルナッソスへの階段(Gradus ad Parnassum:羅)』(1725)であろう。この著作はローレンツ・クリストフ・ミツラーによってドイツ語に翻訳され、ベートーヴェンの技法の理論的な骨格ともなる。ベートーヴェンの《Piano Sonata No.8 in C major, Op. 13》(通称「悲壮ソナタ」)の最終楽章の中間楽節は、この著作で取り上げられている類的対位法(16世紀のヴェネチア楽派によって提示された教育方式)が使われている。

註7

この従属性は、17世紀にデカルトによって創始され、18世紀の美学において支配的であった「情念」学説によって支えられていた。情念学説を歴史的視座に基づいて読み解く為には、バロック時代に創始された感情美学とその理論的な創始者であるデカルトの『情念論(Les passions de l’ame:仏)』(1649)によって提示された「情念」の概念について、またそれと近代の「主体性」との矛盾を論じる事から開始する必要がある。なぜなら、18世紀の音楽美学全般、ベッセラーの音楽論に現れる「不連続性」の概念、またデカルト音楽論に示唆される「想像力」理論もまた含めてーは「情念」概念の定立がこの時代の新たな時間及び自己概念によって主観に帰した音楽現象に対する精神の作用、「主体性」の問題を潜在的に提示しているからである。それは前述した意識の疎外と発展性との矛盾に対応する事は言うまでもない。デカルトは「音楽の目的は快を与え、我々のうちに様々な情緒をひき起こすことである。人は、かなしくしかも同時に喜ばしい歌を作ることができる。このような多様さに驚くことはない。というのは、悲歌や悲劇は我々に悲しみを惹起すればするほど、我々を喜ばせるからである。」(Descartes 1618: 5)と書いている。ここで重要なのは、デカルトの定義する「情念」が、今日の日本語における「感情」とは意味合いとは異なる事である。デカルトは情念を元素的に要素分解し、驚き・愛情・憎悪・喜び・悲しみ・羨望の六種の加算的、累加的、な調合として捉えた。彼はこれらの異なる質量の組み合わせを一つの軸として捉え、そこに交差する人間元来の気質が感情を形作っていると考える。つまり情念は感情ではなく、あくまでも感情を構成する要素にすぎないのである。またそれと重なりあう人間本来の気質というものもまた、ある状況によって喚起される六種の情念の加算的作用の量的な差異に影響を及ぼすにすぎず、このような意味において「情念」は総体的にみて極めて客観的な分析対象となる代物であり、自律性が否定されていると言える。そして一方で、情念の概念において捨象されていた人間の自律性は、それに対置される理性およびその理性を包括する精神によって担われる事になる。そして人間の理性はこの情念を抑制し、喚起し、正しく導く役割を担うのである。このような世界観の元、デカルトの音楽論においては、音楽の機能はこの理性の役割に奉仕する形をとる。つまり、音楽は情念に対して能動的かつ治癒的な作用という極めて外延的な目的に従属し、作曲、演奏上の課題になるのはその六種の情緒にそれぞれ対応する音楽諸技法の計量的、比例的な関連性に尽きると言ってもいいだろう。この倫理的な作用が古代ギリシャのムーシケーのバロック的解釈と結びついた事は言うまでもないが、ここに情念学説の陥った矛盾がある。なぜなら、この学説において重視された人間中心主義的な視点は、一方で精神及び自己に対して外部にある客体的な対象であり続け、情緒は主体に対してその場を持たなかったからだ。対象の絶対性の元で存在する場を失った主体性は、その統合という形での定立を希求する事になるが、主体が情念といういわば所与の反映と行為との間に分断される為に、ついにその場にありつく事はない。オペラにおいて、この様な美学的、イデオロギー的な錯乱が、その全体の構造においても悲痛な断絶を露わにした。それは、発展性が本来契機となるべき物語のナラティブとしての機能と、音楽的な重心との不一致として現れている。この不一致とは、オペラの音楽的側面において最大の見せ場となるアリアに対して、物語における重心が、アリアに対して従属的なレチタティーヴォの側に託されるという矛盾である。また、情念学説の元でオペラの旋律は、そのテキストの関係性において、修辞学的な様々な力動的運動に支配された。この修辞学とは、いわば定量的な情念ーAに対してある定型的な音形ーA’が対応するという様な機会論的な関係性に収斂する様なものであった。こうして、バロック・オペラにおける内容と形式との、ドラマトゥルギーと旋律形態との様々な裁断権が外部から策定された。この裁断権が権力に掠め取られる形で、オペラそれ自体も封建的支配構造に組み込まれる事になったのである。

註8

全ての舞曲が二部形式で書かれた訳ではなく、《Minuet》など一部の舞曲は三部形式で書かれた。この舞曲は後に交響曲、器楽ソナタに組み込まれてベートーヴェンの時代まで受け継がれる事となる。

註9

また大バッハがかの有名な《Das Wohltemperierte Klavier I, BWV 846-893》において成し遂げたポリフォニーの元による和声法の統合も同様の揚棄であろう。

註10

それは後の時代、マルクス主義に弁証法という根幹的手法をもたらしたヘーゲル哲学と、その進歩主義を引き受けたブルジョア階級精神を体現したベートーヴェンの諸傑作、そしてブルジョア階級の反動の歴史と並行してその本質的保守性を顕にしたリヒャルト・ワーグナーの壮大かつ暴虐に満ちた悲劇的結末にも連なる事となる。これらの時代について細かく論じる事は本稿の限られた文字数の上では不可能であり、また近年ではアラン・バディウとスラヴォイ・ジジェクの後書きも含めた優れた評論(※参考文献参照)があるため、ここでは筆を置こうと思う。本稿では改めて、カメラータの運動の分析が、ある歴史における諸々の相容れない創作体系に面した芸術家に対して、不完全ではあるが一面における技術的な回答を提示していた事実を再発見出来た事を強調したい。

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